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日本の旅
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鳴門公園
なるとこうえん
徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦


 鳴門公園は大毛島の北東端に位置する公園です。瀬戸内海国立公園に属し、鳴門海峡や大鳴門橋の眺望が楽しめます。
 鳴門とは「鳴り響く狭い戸」に由来しているそうです。鳴門海峡の渦潮は、イタリアのメッシーナ海峡、カナダのセーモア海峡とともに「世界3大潮流」に数えられています。
 鳴門公園には大自然がおりなす驚異「鳴門の渦潮」が見渡せるスポットや数多くの景勝地、美術館、体験館などがあります。
千畳敷展望台
 「千畳敷展望台」を下ると、相ヶ浜になり、 干満時には、鳴門海峡にできた落差や渦をまじかに見ることができます。
 大鳴門橋は本州四国連絡橋の神戸〜鳴門ルートに属し、渦潮で有名な鳴門海峡の大毛島孫崎と淡路島門崎を結んでいる中央支間長876m、全長1629mの長大吊橋です。昭和51年(1976)に着工され昭和60年(1985)に開通しました。工事費は約1千億円かかったそうです。



大鳴門橋
おおなるときょう
徳島県鳴門市・兵庫県南あわじ市


 大鳴門橋は本州四国連絡橋の神戸〜鳴門ルートに属し、世界3大潮流の一つである鳴門海峡に架かる長大吊橋です。昭和60年(1985)6月8日に開通しています。
 橋長は1629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3mです。橋は上下2層式となっています。上部は片側3車線の道路、下部は将来、四国新幹線が出きる時のために空けてあります。「渦の道」を歩けば、約45mの高さから鳴門のうず潮が望めます。



霊山寺
りょうぜんじ
徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
Tel 088-689-1111


 竺和山(じくわさん)霊山寺は高野山真言宗のお寺です。「一番さん」と親しまれる四国八十八箇所霊場の第1番札所になっています。
 弘仁6年(815)に弘法大師がここを訪れ21日間逗留して修行したといわれています。
 天竺(インド)の霊鷲山で釈迦は仏法を説いていました。天竺の霊山である霊鷲山を日本に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたといわれています。
 本尊の釈迦如来は弘法大師が刻んだそうです。左手に玉を持った坐像です。
 仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊があります。
 室町時代には三好氏の庇護を受け、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つでした。
 天正年間(1673-1693)に長曽我部元親の兵に焼かれましたが、徳島藩主・蜂須賀光隆によって再興されました。その後、明治24年(1891)の出火でまた多くの建物を失ってしまいました。本堂と多宝塔以外は近年の再建です。



極楽寺
ごくらくじ
 徳島県鳴門市大麻町檜段の上12
Tel 0886-89-1563


 日照院極楽寺は高野山真言宗のお寺です。四国八十八箇所霊場の第2番目の札所になっています。日照院のいわれは、本尊の発する光が鳴門の海まで達し、漁業や航海の妨げになったため小山を築いて光を遮ったことから名付けられたそうです。
 行基が開創し、弘法大師が37日間、無量寿の秘法を厳修された時、その結願の日に現れた阿弥陀如来を見ました。それを霊木に刻んで本尊としたそうです。阿弥陀如来像は国の重要文化財に指定されています。
 室町末期には三好氏の保護を受け栄えましたが、天正10年(1582)に長曽我部元親の兵火によって焼失しました。万治2年(1659)、藩主蜂須賀家によって現存する本堂が再建されました。
 安産子安大師が祀られています。明治の頃、大阪の病弱な婦人が四国遍路して大師のおかげで安産し、それ以来安産のご利益があるお寺として有名です。
 弘法大師がこの地で修法を修めた際、この寺を末永く守護せよとの祈りを込めて大師自らが手植えしたと伝えられています。樹齢約1100年といわれる長命杉です。幹に触れれば長生きできるといわれ、その触れた手で自分の悪い所をさすれば直るといわれています。



地蔵寺
じぞうじ
徳島県板野郡板野町羅漢字林東5
Tel 088-672-4111


 無尽山(むじんざん)地蔵寺は真言宗御室派のお寺で、四国八十八箇所霊場の5番目の札所になっています。
 弘仁12年(821)、嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師は勝軍地蔵菩薩を刻んで本尊としてこの寺を創建しました。
 その後、浄函上人が、権現のお告げと霊木を授かり、大師の刻んだ勝軍地蔵菩薩を胎内へ納めた延命地蔵尊を刻んだということです。
 天正10年(1582)、長宗我部の兵火により焼失してしまいました。その後江戸時代に再建されました。
 実名、実聞の兄弟二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で安永4年(1775)に羅漢像をおさめて堂宇を建立したそうです。
 大正4年(1915)に火災で堂宇を焼失してしまいました。その後再建されたのが現在の建物です。境内には「たらちね銀杏」と呼ばれる大イチョウがあります。弘法大師が植えたとされる樹齢800年をこえる大木です。
 また境内には水琴窟があります。水滴を利用し「ピーン」という琴のような澄んだ音色が聞こえます。日本庭園の技法の一つです。



五百羅漢
ごひゃくらかん
徳島県板野郡板野町羅漢字林東5
Tel 088-672-4111


 無尽山地蔵寺の裏手に地蔵寺の奥の院である五百羅漢堂があります。安永4年(1775)に実聞、実名という兄弟憎が全国を行脚して浄財を集め建てたものです。大正4年(1915)に地蔵寺の堂宇ともに火災にあい焼失してしまいました。今ある堂宇はその後再建されたものです。
 境内正面に釋迦堂が建っています。堂内には釋迦如来が安置されています。弥勒堂、大師堂が左右の回廊で結ばれていて、この回廊に等身大の羅漢像が立ち並んでいます。
 羅漢とは、釈迦の弟子であり、仏道修行して阿羅漠果という人間として最高の位を得た人です。500の羅漢は喜怒哀楽様々な表情をしています。中には必ず自分に似た顔があるそうです。



阿波おどり会館
あわおどりかいかん
徳島県徳島市新町橋2ー20
Tel 088-611-1611


 阿波おどりミュージアムでは阿波おどりの衣装や鳴り物などの実物を展示し、阿波おどりの映像を見ることができます。阿波踊りホールでは本場の阿波踊りを見ることが出き、阿波おどりを踊ることもできます。



忌部神社
いんべじんじゃ
徳島県徳島市二軒屋町2ー48


 忌部神社は眉山南東中腹にあり阿波忌部の祖神天日鷲命を主祭神としている神社です。延喜式神名帳に登載された、いわゆる式内社で、その中でも阿波に3社あった大社のひとつでした。
 地震による崩落か、戦国期長宗我部による兵火からか神社の所在がわからなくなり各地で忌部神社を主張する神社が出て論争になったそうです。明治18年(1885)には現在地に社地が求められ、明治20年(1887)に遷座祭を行って国幣中社忌部神社が新設されたそうです。



観音寺
かんおんじ
徳島県徳島市国府町観音寺49ー2
Tel 088-642-2375


 光耀山(こうようざん)観音寺は高野山真言宗のお寺で、四国八十八箇所霊場の第16番目の札所です。
 聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際に行基に命じて勅願道場として建てられ、弘仁7年(816)に空海が巡錫した際に千手観音像を刻んで本尊とし、観音寺と改名したそうです。
 天正年間に長宗我部元親の兵火にかかりましたが、万治2年(1659)阿波藩主・蜂須賀光隆が宥応法師をたて再建したそうです。境内には子どもの夜鳴きにご利益があるとされる夜鳴き地蔵尊もあります。



丈六寺
じょうろくじ
徳島県徳島市丈六町丈領32
Tel 088-645-2207


 瑞麟山丈六寺は曹洞宗の寺院です。本堂の本尊は釈迦如来です。観音堂に安置されている聖観世音菩薩坐像が旧来からの本尊で1丈6尺(約5m)もあることから丈六寺と付けられたそうです。
 白雉元年(650)に関東地方よりたどり着いた尼僧が、ここに庵を構えたことに始まるそうです。
 現在の伽藍が整備されたのは、室町時代中期の長享、延徳年間頃(1487-1491)、守護大名の細川成之が伽藍を整備し、末期の阿波国守護大名の細川成之(しげゆき)が、再興して細川氏に厚く保護されました。
 近世においても歴代藩主蜂須賀氏によって保護され、本堂や観音堂が建立されました。丈六寺は徳島県内最古の建造物で、鎌倉、室町時代の禅宗の建築様式を色濃く残しています。中にある建造物はすべてが国や県の文化財に指定されています。
 徳雲院の天井には手形、足形の血痕らいものが認められます。阿波国に攻め込んだ長宗我部元親が牛岐城(富岡城)主の新開入道道善に平定後の好条件を出しました。和議のため丈六寺に呼び出したのです。
 和議成立後の酒席で酔った新開道善一行が帰ろうと縁側に出た時、影に潜んでいた元親らの兵に襲われ討ち取られてしまいました。その時の血の付いた手形や足形が天井の板にされたそうです。
 国の重要文化財の三門は室町時代末期、16世紀後半の建物です。和様、禅宗様折衷の二重門で徳島県で最古の建造物です。 同じく指定の観音堂は普門閣とも呼ばれ、寄棟造二重仏堂です。永禄10年(1567)細川真之により建立されました。現在の建物は慶安元年(1648)の建物です。
 同じく国の重要文化財の本堂は入母屋造単層、本瓦葺きです。寛永6年(1629)蜂須賀家政が娘の辰姫の供養のために方丈を再建し寄進した建物です。明治時代に本尊として釈迦如来を安置したため本堂になりました。



童学寺
どうがくじ
徳島県名西郡石井町石井字城ノ内
Tel 088-674-0138


 東明山(とうめいざん)童学寺は真言宗善通寺派別格本山のお寺で、本尊の薬師如来は藤原時代の物で国の重要文化財に指定されています。
 童学寺の近くには法起寺式伽藍配置の石井廃寺跡があります。奈良時代前期にさかのぼる寺院跡で、これが童学寺の前身ともいわれています。
 弘法大師が7歳から15歳まで童学寺で書道や密教などを学んだそうです。いろは四十八文字を作ったとも伝えられています。そのような事から童学寺と称するようになったそうです。
 弘仁6年(815)、弘法大師が42歳の時に再びこの寺を訪れたそうです。伽藍を整備し、自らが刻んだ薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天を安置したそうです。
 天正年間(1573-1592)に兵火を受けて全山焼失したようですが、元禄年間(1688-1704)に江戸幕府により再建されました。



田中家住宅
たなかけじゅうたく
徳島県名西郡石井町藍畑字高畑705
Tel 088-674-0707


 田中家住宅は寛永年間(1624-1643)に、初代播磨屋与右衛門がこの地に入って以来代々続いた藍商の家です。主屋の他に藍寝床(あいねこ)と呼ばれる建物があります。藍の葉を発酵させて「すくも」と呼ばれる染料に加工する場所でした。
 安政時代の初めから敷地の造成を始め主屋は元治2年(1864)に藍寝床などは明治20年(1887)と長期間にわたって造られてきました。これらの建物は国の重要文化財に指定されています。



鶴林寺
かくりんじ
徳島県勝浦郡勝浦町生名字鷲ケ尾14
Tel 08854-2-3020


 霊鷲山(りょうじゅざん)鶴林寺は、勝浦町にある高野山真言宗のお寺で、本尊は地蔵菩薩です。四国八十八箇所霊場第20番の札所になっています。
 「お鶴さん」と呼ばれ、標高516mの山頂に位置しています。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ阿波の難所の一つでした。
 延暦17年(798)、桓武天皇の勅願によって弘法大師が開いたといわれています。修行中の弘法大師が、雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵尊を守っているのを発見しました。霊木に地蔵菩薩を刻み、その中にその地蔵尊を納めて本尊としたそうです。
 大師はこの鶴にちなみ鶴林寺と名付け、霊鷲山という山号は境内の雰囲気が釈迦が説法をした山に似ていることから命名したそうです。
 後に、真然僧正が七堂伽藍を完成させ、平城、嵯峨、淳和帝など皇室の尊信もあつく、源頼朝、三好長治、蜂須賀家政らの武将も伽藍の修築や寄進などをして庇護しました。
 運慶作と伝えられる仁王像のある山門を入ると、スギや桧の深い森の中に文久元年(1861)建立の六角堂があります。本堂は慶長9年(1604)の再建です。本尊の地蔵菩薩は平安期の作とされ国の重要文化財となっています。波切地蔵とか背負い地蔵とも呼ばれ、いろいろな伝説を持つ霊験あらたかのものとされています。
 鶴林寺は山頂に位置したため、戦火を免れることができました。そのおかげで多くの貴重な文化財を今に伝えています。
 参道には11基の丁石と呼ばれる道を案内する標石が残っています。古いものは南北朝時代に建立されたもので、徳島県では最古のものといわれています。



お松大権現
おまつだいごんげん
徳島県阿南市加茂町不ケ63
  Tel 0884-25-0556


 お松権現は通称「猫神さん」と呼ばれています。有馬、鍋島とともに日本3大怪猫伝の一つとして知られています。仇討、勝負事や受験の神様として有名です。
 江戸時代、奉行の不当な裁きを不服として直訴し処刑されたお松という女性の愛猫が、妖怪変化となって、奉行の家などを代々たたり続けて仇を討ったとの伝説が残っています。
 お松は貞享3年(1686)、藩主の行列に直訴、寵愛の猫、三毛に遺恨を伝え、処刑されました。その後、悪行をした野上三左衛門、奉行の家々に怪猫が現れ怪事異変が続き、両家は断絶したそうです。



太龍寺
たいりゅうじ
徳島県阿南市加茂町龍山2
Tel 0884-62-2021


 舎心山(しゃしんざん)太龍寺は、高野山真言宗のお寺で、本尊は虚空蔵菩薩です。四国八十八箇所霊場の第21番目の札所になっています。
 「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ阿波の難所の一つでしたが、今では全長2775mと西日本一の太龍寺ロープウェイとケーブルカーで巡拝できます。
 「西の高野山」と呼ばれて、高野山と同じ作りになっています。600mの山頂付近にあり、樹齢千年を超す巨杉に包まれた大きなお寺です。
 桓武天皇の延暦17年(798)、勅願によって阿波国司の藤原文山が伽藍を建立し、弘法大師が刻んだ虚空蔵菩薩を本尊として開基しました。山号は舎心の霊蹟にちなんで舎心山、寺号は山の名前から付けたそうです。
 その後、一時寺運も衰えましたが、天長2年(825)に渟和天皇の命によって再興されました。さらに後、白河上皇が東寺の別当長範に命じて再興しています。
 天正年間(1573-1592)に長宗我部元親の兵火によって焼失し再び衰退します。その後も復興と荒廃を繰り返しましたが、阿波藩主の保護によって再建されました。昭和27年(1952に)火災でまたもや堂塔の一部や多くの寺宝を焼失させてしまいました。
 太龍寺の中で最も古い建造物は仁王門です。金剛力士像は鎌倉時代の作で徳島県下では最も古いものといわれています。写実的な描写は運慶・快慶の技法を伝えています。
 本堂は阿波蜂須賀藩主の命により嘉永5年(1852)に建立されたものです。本尊は虚空蔵菩薩、弘法大師の御作で、毎年1月12日の初会式に開帳されます。

 大師堂は高野山奥の院を踏襲して、拝殿、奥殿方式で配立されています。奥殿には宗祖弘法大師像が安置され、拝殿には大師の十弟子が壁に描かれています。
 多宝塔には法界虚空蔵、金剛虚空蔵、宝光虚空蔵、蓮華虚空蔵、業用虚空蔵と五尊で一組の五大虚空蔵が安置奉られています。持仏堂の大廊下天井には、高知県安芸市出身の四條派画家、竹村松嶺による龍の天井画が描かれています。



氷柱観音
つららかんのん
徳島県那賀郡鷲那賀町田野
Tel 0884-62-1198 那賀町商工地籍課


 太龍寺のロープウェイ乗り場の近く、県道・阿南鷲敷日和佐線を北へ500mほど行った山中に氷柱観音があります。不動尊が祀られている祠の裏に、穴のような鍾乳洞があります。
 祠には鍾乳石が自然につくりあげた不思議な氷柱観音が祀られています。太龍寺を開山した弘法大師がこの洞窟を見て「観音浄土の如し」と言い、自ら観音像を彫り安置したといわれています。



薬王寺
やくおうじ
徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285ー1
Tel 0884-77-0023


 薬王寺は四国八十八ヶ所霊場第23番札所です。「発心の道場・阿波」の最後の寺です。厄除けの寺としても有名です。33段の女厄坂、続いて42段の男厄坂があります。
 厄年の男女は各段ごとにさい銭を置いて厄落としをする風習があります。ですから石段はいつもさい銭であふれています。
 さらに本堂から瑜祇塔までの六十一段は厄坂と呼ばれています。瑜祇塔は寺宝の絵巻物などを展示した資料館になっており、一見の価値があります。
 薬王寺は太平洋にのぞむ、山の中腹に日和佐の町を見おろして建っています。このお寺は厄除けの寺として有名で、山門をくぐり桜並木の参道をぬけると右手に庫裏、鐘楼があります。坂を上ると本堂とその左に、大師堂、地蔵堂などが並んでいます。
 本堂には前向きと後ろ向きの二体の薬師如来が安置されています。これは文治4年(1188)の火災の際に飛んで行った本尊が新しい本尊の開眼供養していた時に戻ったことからこのような配置になったということです。正面からでも裏からでも参拝できるという本尊なのです。
 厄坂を上ったところに形の変った色あざやかな瑜祇(ゆぎ)塔がそびえています。密教の教義にも とづく塔で、屋根の上には五智をあらわす5つの相輪が立っています。密教寺院独特のもので、日本一の大きさを誇り寺のシンボルにもなっています。



祖谷渓
いやけい
徳島県三好市西祖谷山村〜三好市池田町松尾


 祖谷渓は剣山を源流に西北へ流れる祖谷川が四国山地をV字型に刻んでできた渓谷です。岩の上に小便小僧が立っています。地元の子供達が度胸試しをしたということから作製されたそうです。
 祖谷街道の一番の難所である七曲にあります。谷底まで200mもの高さがあります。すぐ近くに祖谷温泉があります。

 日本3大秘境といわれている地であり、山麓にへばりつくようにわずかに住宅が点在します。祖谷渓は徳島88景に選ばれています。



祖谷のかずら橋
いやのかずらばし
徳島県三好市西祖谷山村善徳


 祖谷かずら橋は長さ45m、幅2mで、谷からの高さは14mです。日本三奇橋の一つになっていて、重要有形民俗文化財に指定されています。
 このかずら橋が作られたのは弘法大師が祖谷に来たときに困っている村民のために架けた説や、平家の落人が追手が迫ってきてもすぐ切り落とせるように葛を使って架設した説など言い伝えられています。

 大正時代にワイヤーを使った吊り橋に架け替えられたそうです。昭和3年(1928)、地域振興目的でかずら橋が復活されました。安全のためワイヤーによる補強は現在も行なわれているそうです。3年に1度は架け替えが行なわれていてニュースなどでその模様が報道されています。
 祖谷かずら橋の他、三好市の東祖谷菅生、また福井県今立郡池田町にも同じようなかずら橋が架けられています。


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